公式は与えられたものと思っていないだろうか?

公式は与えられたものと思っていないだろうか?


ここで、卑近な「公式」という言葉を使用したが、法則でも、法律でも、憲法でも何でも良い。これらのモノをgivenなものと思っていないだろうか?

たとえば、三角関数の公式などがありますね、重力の法則という有名な「万有引力」の法則がありますね。あれも、ニュートンが考えだす前から、自然会はその法則で支配されていました。三角関数もそうかもしれません。余弦定理、正弦定理などなどの公式が多数あります。力学でもそうですね。

私は若い頃から、公式を覚えるのが面倒だったので、公式を作る方に回っていました。どうしても必要なものがいくつかあります。sin、cosなどの定義は必要です。でも、その後のほとんどの公式は、覚えておけば便利程度の内容で、一生懸命に覚えるより、考え出した方が間違って覚えなくて良い。

話を法律、規則まで拡大すると良く分かる。スピード違反は良くやる法律違反、ないしは条例違反です。交通規則がありそれに反すると罰せられます。しかし、最近の制限速度は、以前より10キロないし、20キロほど緩やかになっています。国道など、60キロ以上の設定になっている。首都圏の自動車専用道路の制限速度は知らないが、大体、私の自動車で私の実力では、あの10キロオーバー(パトカーに捕まる速度)が精一杯です。20キロオーバーで走ると、危ない。ついこの間、若葉マークをつけて走っていたと思ったら、ぼちぼち、「枯れ落ちマーク」を付けなければならない年ごろになってしまったが、動体速度の認知が遅れるような年になると、60キロ制限のところを事故らずに100キロで走るのは無理。

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首都高も同じ。90キロで走るのが精一杯なんです。ということで、私が言いたかったのは、法律もある程度は快適に過ごせるレベルで生活をしている場合、それを犯すことはめったにない、ということです。公式と同じ、あれば、その原理を知らない人もまあ、便利に生活できる、計算が楽になると言う程度。しかし、面倒な公式を一杯覚えなければならない。

歴史、地理も同じ。歴史の流れ、地理の地政学的な動きを合わせて勉強すると、自然と歴史と地理の流れが頭に入る。だから、断片的な知識を一杯頭に詰め込むことは危険であり、むしろ勉強の邪魔になる。私は勧めない。流れを読んで、初めて人の名前、地名、国名その他、産物、産業などの動きが分かる。

ということで、覚えることがまずあるのではないと思って欲しい。

憲法は与えられたものか?


英国のように成文法がない国もあるそうだ。それは、基本が紳士の国であるからだろう(最近は紳士が少なくなって来て、ブレアーとか言う首相が首になったりしている)。アメリカはこれまた、民主主義の国であろうが、それが根本からブッシュ辺りでひっくり返されている。しかも、メディアまでもが、ブッシュになびき、司法長官あたりも怪しいとか?一体、民主主義がどこに行ったの? まるで、絶対主義ではないか? 二本のように全体主義でないだけ増しかもしれないが、自由な発言を妨げるようなメディアが一杯出てくると国全体がおかしくなる。

そうなると、憲法を定めていても、それはぎりぎりの線を定めているだけ、後は、人民の人民のための人民による政治という、大本に返るだけ。

日本も非戦を旗印にして、それを元に平和憲法がある。その根本が犯されると、他の部分もどんどんおかしくなる。運用でカバーなんて言葉が出てきて、イラクへ戦争補助に行ったりしている。これっておかしいんだよね。

憲法は、我々が平和に、かつ、最低限度の生活が保証された生活を送れることを規定しているのであり、それが犯されるとどうしようもない。なぜ、戦前の憲法に戻りたいと考えるの?戦争をしたいの?  与えられたものであろうが、自分たちでかいたものであろうが、天皇が定めたものであろうが、イエス・キリストが定めたものであろうが、そんなことはどうでも良い。我々は、我々自身が快適に、平和に、最低限度の生活レベル、自由な生活が出来ることが保証されれば、後の運用はどうでも良い。他国に戦争に行くことは、このような生活を守ることを困難にするから、これは、行動として間違っていると考える方が良い。自分たちがなじまない、テロ(テロの定義だって、相手にとっては自分たちの権利を守る行動だ)というものと戦うために戦艦を配備するなどはおかしい。

彼らの生活を脅かすことになる。世界は、我々自由圏に生活している人達だけで出来ているのではない。

上のものの命令に素直に従う生徒を育てるのが良いのか?


教育基本法を改定し、「命令に素直に従うような教育を推進」することが目的らしいが、そんな教育はやめて欲しい。そんな教育をしなくとも、「甲子園球場で春・夏実施される高校野球」での選手の更新が、兵士の行軍みたいな歩き方をして誰も不思議に思わない。オリンピックだって、日本と軍国主義の国だけだよ、ひざを腰のところまで上げて、足の動きをそろえて歩いている。恥ずかしい。日本は軍隊がないから、体育系の人たちをその代用品にしようとしていると思えるが、馬鹿なことだけはよそうよ。

高校生に軍隊の真似をやらせるのは止めよう。全体主義にすぐなびく日本人だ。それを、ますます、上の命令に素直に従う生徒を育てるような教育をすると、あっという間に、戦前に逆戻りするよ。それより日本人に必要なことは、

  1. 精神的に親・教師から独立すること
  2. 自らの意見を持ち、考えに従った行動をすること
  3. 善悪の判断が自ら出来るようになること
  4. 先輩・後輩、上司・部下の間に、非人間的な支配関係をなくすること。


なんです。これをやらないから、ちょっと反抗的な行動をすると、学校では内申書が2ランク下ってしまう。宿題を忘れたなんて、イエローカードのようなもの。反対意見を述べたらレッドカードと言うのはおかしい。絶対必要と思われること以外、強制は間違っている。反省をするべき時は自らが判断して反省をすればいい。反省を強制すると、例の「総括!!」ということで、浅間山荘事件のようなことが起こる。総括で、何人が死んだか? 麻原彰晃でも同じだろう。馬鹿の言うことに絶対服従を強いられる人も問題だが、自由に生きるべき人間がなぜこんな馬鹿な行動に服従するのか? 不服従の自由もある。アメリカにも良心的非戦が認められている。そのかわり、相当きつい奉仕活動などを強制されるようだが。

上から与えられる公式・法則・法律は、あくまでも便法です


これが私の結論。それに従って生活すれば、便利だし、危ない橋を渡らずに済む。しかし、アルツハイマーになりかかっている人間に、あれこれをせよと強制するようなもんだよ。一生懸命に覚えなければならないではないか? 第一、今日、警察に落とし物を届けた時、警官不在で、10分以上待たされ、揚げ句に調書をとられ、名前、住所、年齢を聞かれる。その時、なんと、不細工なことに、「鶴見」という文字が書けなかった。いつもかいているんだけどね。

もう駄目だね。暑さにいかれているだけではないんだ。アルツに近い状態かもしれない。それで言うんではない。公式・法律・法則・憲法は、あくまでも我々のために存在する。強制されるようなものではない。与えられ、絶対に服従するべきことでもない。その前に、自分の生活を自分で律しておりさえすれば、それらのことに抵触するようなことは起こりえない。むしろ、人間の弱さを常に自覚してそれを補いよう、自分で考え生活を送れば、決してそれらに抵触することはないし、抵触しても、本来、罰せられるものではない。赤信号で、周りに自動車が居らなければ、横断歩道を渡るのは常識。赤信号、みんなで渡れば怖くない、ではないのだ。自分で行動すれば、怖くないのだ。それを、強制すると、全く自動車の通らない同断歩道を、1分以上待っている馬鹿な日本人ができ上がる。余りに素直すぎるではないか。

今日は、これでお終い。

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