古賀茂明「『桜を見る会』の文書廃棄はあり得ない」連載「政官財の罪と罰」古賀茂明2019.11.26 07:00週刊朝日#古賀茂明

古賀茂明「『桜を見る会』の文書廃棄はあり得ない」

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連載「政官財の罪と罰」

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古賀茂明2019.11.26 07:00週刊朝日#古賀茂明


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「桜を見る会」の疑惑が広がっている。公職選挙法や政治資金規正法違反の疑いまで出てきた。しかし、野党がこの問題を追及しても、「関連資料廃棄」という壁に突き当たる。「やましいところがあるから」廃棄したのだろうということまでは言えても、「違います」と返されて終わる。このままでは、「モリカケ」同様、本件の追及も尻すぼみになるのではないかと危惧する声も聞こえてくる。


【写真】「桜を見る会」で追及される安倍首相

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 なぜそうなるのか。一つの「文書廃棄」の例を見ながら考えてみた。


 内閣府と内閣官房が安倍事務所推薦による招待客名簿などの資料を廃棄した経緯をご存じだろうか。共産党の宮本徹衆議院議員が内閣府・内閣官房にこの問題を追及する質問のため今年59日に資料を要求した。すると、内閣府がその日のうちに関連文書を廃棄した。内閣府の官僚は、あくまでたまたまだと言い張った。なぜ、「有名大学を出た優秀な」官僚がそんな嘘八百とわかる酷い答弁をするのか?


 私の長い官僚経験から言って、そもそも、官僚が簡単に文書を捨てることはない。過去問を解いて受験戦争を勝ち抜いてきた官僚たちは、前例がなければ、何もできない。省内で説明するときも、最も重要なのは前例。

「昨年はどうだったか」「今年は違うのか」「違うなら何が違うのか」ということを説明できなければ、どんな案件も通らないのが役所の掟だ。文書を残していなければ、責任を問われることもある。だから過去の文書は何があっても残す。


 では、なぜ文書の保存期間が定められているのか。


 それは、政治家や官僚にとって都合の悪い文書を「廃棄した」と言っても、「責任を問われないようにする」ためである。つまり、「廃棄した」と官僚が言っても、それは、「『公には』廃棄したことにした」という意味で、実際には、必要な資料なら、誰かが必ず密かに保存している。


 しかし、今回は、いかにも証拠隠滅と疑われる「廃棄」の仕方だ。それでも安倍総理を守る理由は何か。


 それは、官僚が、「今回もどうせ安倍総理は逃げ切る。マスコミも野党も検察も当てにならない。自分が真実を話せば、逃げ切り後の安倍政権に報復される」と考えるからだ。政治家が認めるまでは、官僚は真実を隠し続けるしかない。


 逆に言えば、政治家が真実を話せば、「廃棄した」はずの文書もすぐにどこかで「発見」されるはずだ。


 今や、霞が関は無法地帯。証拠隠滅してもお咎めなし。全てのルールは安倍総理が決める。「私は関与していない」と総理が言えば、「関与を示す文書は出すな」というメッセージとなる。行政のガバナンスの完全崩壊だ。もちろん、文書がなければ、国民の代表たる国会議員も、政府をチェックできない。政府に対する国民のガバナンスが全く機能しない異常事態。日本は、民主主義国家の名に値しない国に成り下がってしまった。


 さらに言えば、その根本にあるのは、国民の規範意識の崩壊だ。本件について、「どうしていけないの?」「たいしたことじゃない」という声がネットに広がり、それを公言する「有識者」まで出る始末だ。追及する記者や野党議員へのバッシングさえ行われる。

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 総理を筆頭に、政治家、官僚、検察、裁判所という支配層だけでなく、民主主義を支える国民の倫理規範までが歪んでしまったとしたら、この国の危機は臨界点に達していると言わざるを得ないのではないか。


週刊朝日2019126日増大号

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