路上には隣人や幼なじみの遺体…ブチャの住民「ウクライナ系を選別」;朝日ディジタルから、引用しています。

【動画】「虐殺」が起きた街 ウクライナ・ブチャ=国末憲人、竹花徹朗撮影

路上には隣人や幼なじみの遺体…ブチャの住民「ウクライナ系を選別」

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 ウクライナでのロシア軍の残虐行為を「ジェノサイド」(集団殺害)とする見方が浮上している。バイデン米大統領が言及するなど、国際社会で非難が強まっている。その焦点は、400人を超える民間人の死者を出した首都キーウ(キエフ)郊外ブチャだ。遺体の検査や生存者の証言に加え、国際的な調査も始まり、その概要が次第に明らかになりつつある。

 1カ月あまり占領したロシア軍が4月初めに撤退した後、ウクライナの首都キーウ(キエフ)郊外にあるブチャの路上にはおびただしい遺体が放置されていた。その映像は世界に衝撃を与え、戦争犯罪やジェノサイド(集団殺害)の責任をロシアに問う動きが広がるきっかけとなった。

「彼の体は後ろ手で縛られていた」

 イリーナ・アリモバさん(47)は、その光景を目にした一人だ。自宅を出て、占領中、ガレージの中でせきもくしゃみも我慢しながら、家族と身を潜めた。あらかじめ用意していた発電機を利用し、飲料水は井戸からくんだ。

ここから続き

 ロシア軍が撤退後、街に出ると、路上の各所に遺体が横たわるのを目にした。翌日には多くが片づけられたが、1体焼かれた遺体が残り、野犬がそれを食べようとしていたという。

 ブチャの外れに位置する共同墓地は、道路脇にまで真新しい墓があふれていた。埋葬のための敷地が足りないからだ。ここに12日埋葬されたアンドレー・マトリチェクさん(37)は、元軍の狙撃手で、当時はショッピングモールに警備員として勤めていた。友人によると、自転車に乗っていて拘束され、遺体で発見されたという。埋葬に立ち会っていた友人のアンドレー・ホミャクさん(38)は「彼の体は後ろ手に縛られていた」と語る。

 米ニューヨーク・タイムズによると、ブチャで手足を縛られた遺体は15体に及ぶという。

 そのうち5体が見つかったのは、ブチャ北部の森に囲まれた夏季キャンプ場だった。バスケットコートや遊具を備えた250人収容の子ども向け宿泊施設で、キーウ市やキーウ州内から多くの人を集めたが、戦闘中はロシア軍が占拠し、陣地として利用したという。

 管理人のウォロディミルさん(65)の案内で中に入った。5人の遺体があった地下室は処刑場所とみられ、血のような跡が壁に残っていた。

 ロシア軍が寝泊まりしていたと見られる部屋では、床に酒瓶が散乱し、異臭を放っていた。

 キャンプ場の敷地には、遺体が1体横たわっていた。近くの路上で殺害されて放置された遺体がここに仮埋葬され、収容のため、この日掘り起こされた。近く埋葬される予定という。

 キャンプ場にいると、「早く離れろ」との大声が聞こえた。近くで不発弾が見つかったという。避難すると、数分後に空爆でもあったかと思うほどの大音響が響いた。爆発処理をしたようだった。

 一方で、難を逃れた人も少なくない。

 ブチャの鉄道駅から隣の街イルピンに向かう駅前通りは、ロシアとウクライナ両軍の間で最も激しい戦闘が繰り広げられた。通り沿いでは2人の遺体も見つかった。しかし、この通りに暮らす元救急医のハンナ・ザモヒリナさん(80)一家は被害を免れた。

 「ロシア兵と話をしましたが、それほど残酷な感じではありませんでした。私たちの家を見て『トイレが室内にある』とうらやましがっていました」

 ブチャを占領したロシア軍の主力は、極東の地方都市ハバロフスクの部隊。一方、ブチャは、森と湖に囲まれたキーウ近郊の高級住宅地だ。兵士らは、豊かなブチャの生活に憧れを抱いたのではと、ザモヒリナさんは推測する。

 同様の印象は、ガレージに隠れたアリモバさんも抱いていた。一度ロシア兵に見つかったが、シベリア出身という兵士は「ここはガレージなのに、私の家よりも立派ではないか」と驚き、危害を加えなかったという。

 もっとも、ウクライナ軍の関係者は「ブチャの生活にロシア兵が嫉妬を抱き、恨みを抱いたのではないか」との推測も語った。

住民殺害 ウクライナ系を選別か

 戦闘とは無関係に住民が殺害された例はブチャ市内の随所に及ぶが、中でも最も甚大な被害が出たのが、イバナフランカ通り周辺の地区だ。

 ブチャは富裕層に人気の新興都市だが、市中心部から鉄道を挟んでやや孤立したこの地区には古い民家が並び、郊外農村の趣がある。この通り沿いだけで、殺害されたのは7人。路地を含めた地区の犠牲者は11人に達した。

 占領当初、この地区には数日おきに異なる兵士らがやってきた。最初の一群は家の内部を検査したが、比較的穏やかだったと、通り沿いに暮らす銀行警備員グレゴリー・コミヤンさん(54)は証言する。「車の窓を壊した。申し訳ない」と、コミヤンさんに100フリブナ(約400円)を支払おうともした。

 しかし、その次に来た一群は粗暴で、頻繁に発砲。3月初めには、発砲音の後、路上に遺体が転がっていた。

 この通りでは、全滅した一家もある一方で、コミヤンさんは無事だった。「何が違ったのか、わからない。運がよかった」

 ただ、住民をロシア系とウクライナ系にわけ、後者を標的にした節も、兵士にはうかがえるという。

 路地に暮らす元看護師スベトラーナ・ルデンコさん(70)の家には、ロシア軍が押し入ってきた。ルデンコさんはロシア出身で、ロシアの旅券を持っている。それを見せてロシア語で話しかけると、兵士は何もしなかった。「一方で、ウクライナ語を話す若者は『バンデラ主義者だ』と言われて軒並み殺された」と語る。バンデラは20世紀半ばに活動した反ソ連のウクライナ民族主義指導者で、ロシアからはしばしば批判される。

 通りの近くに住む電気技師ミーシャ・クズミンコさん(39)も、ロシア兵に屋内を調べられたうえに、「おまえはバンデラ主義者か」と問い詰められた。老いた母が「ロシアに親戚がいる」と言うと、兵士らは「わかった。民間人に危害は与えない」と応じた。

 クズミンコさんは兵士とロシア語で話したが、パソコンを調べた兵士は、そこにウクライナ語の文書があるのを見つけた。これは何かと問い詰める兵士に対し、クズミンコさんは「ウクライナ語は公用語なので、文書をつくるのに必要だ」と説明すると、兵士は驚いた様子だった。

 クズミンコさんの隣人は、ロシア軍が来た際に火炎瓶を投げて抵抗したために殺されたという。

 ロシア軍が撤退した後、クズミンコさんは通りに出た。そこに横たわる遺体には、隣人も、幼なじみの友人も含まれていた。

 ジェノサイド条約は、国や人種、民族、宗教に基づく集団を破壊する意図による行為を「ジェノサイド」と定義しており、犠牲者の人数は関係ない。ウクライナ系を特定して殺害する行為があった場合、ジェノサイドとみなされる可能性もある。(ブチャ=国末憲人竹花徹朗

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