アイゼンハワーから遠いプーチン氏の「野心」:毎日ディジタルから引用しています
アイゼンハワーから遠いプーチン氏の「野心」
田中秀征・元経済企画庁長官

ロシアのプーチン大統領は、ウクライナ侵攻2カ月を経て、ますます悪魔的指導者と化している。今後の展開は予測しがたいが、ただ決して彼の思惑通りにはならないと信じている。
彼の邪悪さは、ヒトラーと同質のものだが、現代の兵器、通信、運輸、貿易などの驚異的な発達によって、プーチン氏の人類に対する破壊力はヒトラーのそれを上回っている。
プーチン氏の非道を許せば未来はない
現在、報道がロシア寄りに規制されている国を除けば、世界の人々は一体となってロシアに対抗しウクライナを支援しつつある。こんなことは歴史上初めてだろう。もし、このままプーチン・ロシアの非道の進撃を許せば、人類に明るい展望は開けないと思い詰めているからだろう。
それにしても、この20年ほどの間に、世界の有力国のリーダーまでが危険な野心家によって占められつつあるように見えるのは、どういうわけか。目に見えて政治指導者の劣化が加速している。
悪魔的なプーチン氏を見て、私は学生時代に尊敬していた米国の第34代大統領のアイゼンハワーをしきりに思い浮かべるようになった。
温かさと正しさ
アイゼンハワーは、周知のように第二次世界大戦を連合国軍最高司令官として勝利に導き、戦後、推されて大統領選に出馬し、当選した。折から黄金期を迎えていた1950年代の米国の頂点に立ち、持ち前の誠実さと温かさで米国だけでなく広く世界から敬愛された。
彼の真骨頂は、前任のトルーマン大統領の日本への原爆投下に反対したことであろう。退任後の回想録でも「日本はすでに敗れているのだから原爆投下は全く不必要だった」と記している。そして、軍人出身でありながら米国の軍産複合体化に警告を発した退任演説も忘れられない。

子供心にトルーマンの冷たさを感じていた私には、アイゼンハワーがとても温かく正しい人に感じられた。
トルーマンが原爆投下を決断し、アイゼンハワーがそれに反対したのは、つまるところ両者の志や性格の決定的な違いによるものだ。内に人に対する温かさを秘めるアイゼンハワーは、常に人的被害を最小限にすることを考えて決断したのである。
フランスのドゴール元大統領は、政治の動きや方向を決める重要な決断は、政治指導者の性格に左右されると言っていた。
日本の政治の中枢で、何人かの首相の大きな決断に接するたびに、私はこのドゴールの言葉を再認識した。つまるところ、最終判断に際して自分の利益を優先するか、公の利益を優先するかである。プーチン氏は前者であり、アイゼンハワーは後者の典型であろう。
猜疑心と復讐心
今回のウクライナ侵攻は、プーチン氏の性格に発する孤独な決断によって開始され、そして強行されている。
プーチン氏はかつて「オオカミは誰を食べればいいか分かっている。誰の意見を聞くこともなく食べる」と語っている(ニューズウィーク日本版3月22日号)。彼は「誰の意見を聞くこともなく」自分一人の決断でウクライナを食べていることになる。
世界は、年々、権力欲、猜疑(さいぎ)心、復讐(ふくしゅう)心の強い指導者が増えている感じがする。共通するのは、言論、報道の自由を規制し、批判し敵対する人を排除する傾向が強まっていることだ。
ロシアや中国の報道規制が歪(ゆが)んだ世論を形成することを思い知ると、あらためてわれわれもその轍(てつ)を踏まないよう気をつけねばならない。そして国内政治でも国際政治でもそうだが、政治指導者の本質を見抜く鑑識眼を磨く必要があろう。2020年の日本学術会議の任命拒否問題を考えると、わが国も例外とは言えない。

この記事へのコメント