私生児、同性愛…93歳の新天地は大阪・西成 「矛盾は値打ちや」:朝日ディジタルから引用しています。

89歳の夏、引っ越した。荷物は全部捨てて。行き先は老人ホームじゃない。「あいりん」と呼ばれる大阪・釜ケ崎、7畳一間南向き。仲間ができたのだ。人生で初めて。
大阪・西成の93歳詩人が語る 私生児の過去、同性愛、老い
僕はなぜ、たった一人で生きてきたのか。なぜ89歳で引っ越したのか。家族も故郷も捨てて生きてきた長谷忠さん(93)が人生の最後にたどり着いたのは、大阪・釜ケ崎だった。ゲイとして、私生児として。「死に場所」で見つけた、人生の宿題とは。
「長いこと、誰とも縁結んでこんかった。結婚もセックスもなし」。
長谷忠さん(93)は、子どものころから男性が好き。
香川県の村で私生児として育った。
妾の子として
父は地主で医者、母は妾(めかけ)だった。
太平洋戦争のさなか、14歳で一人旧満州へ。そのまま終戦を迎えた。
戦後は大阪へ。郵便配達などの仕事をし、友人はつくらなかった。
生い立ちや恋の話になると、「どうしても噓(うそ)になってまう。家族も故郷も捨てた身やから」。
胸の内は詩にしてきた。
「おかまは男になれへんし おかまは女になれへんし おかまはおかまでええやないか」
40代の詩はかなしい。己に言い聞かせるよう言葉を吐いた。
けれど、今は違う。ええやないか、と受け入れてくれる人がいる。
過去にさよなら
4年前、釜ケ崎の単身高齢者らのグループの紙芝居を見た。
なんだか楽しそう。
元々野宿者ら多様な人が集まって始めた活動で、「むすび」と名乗っている。
「入れますか」と聞くと「ーええよ~」とあっさり。
「だから僕もポーンと決めてん」
「こっから仕切り直しや」
過去のもやもやは引っ越しのごみと一緒にさよなら。
住んでみて驚く。
新天地での暮らしは、どうなったのか。老いを生きる支えとは――。思わぬことが明日を照らす命綱になっている、と語る長谷さんの「今」は、記事後半で。
野宿者が多く、道は寝床でもある。
92歳の誕生日は「29歳」と祝われ、シニアカーで出かけると「ベンツや」「フェラーリや」。
釜ケ崎では、ちぐはぐは“ええこと”らしい。
「ここは杖の街や。いろんな経験してきた人が、足引きずったり杖ついたりして生きてる街や」
悲しみも不幸も笑いに反転させ、ひっくり返ってもたくましく生きている。
「人生も矛盾がある方が値打ちある」と最近思う。
「僕、女みたいなとこ、あるねん」。仲間には言ってある。
「女か男か分からず、女になろうとして、せやけど男や。なんでやと謎めいてるねん。それ伝えたくて、しつこく生きてる」
「分からんことを分かろうとして生きるのが人間や。はっきり言葉にしてしもたら、人間てしまいやねん。せやから中途半端はええことやねん」
鎖から命綱へ
性は、自分を縛る鎖だった。
でも今は「命綱。おかまは存在理由や。僕しかたどれん一生がある」。
いつか、書きためた詩を歌いたい。自分の全てが詰まっているから。
「88歳で精液が出なくなって老いを悟ったこととか、全部。はき出さな、なかったことになるやろ。それはいやや。臭いことと、汚いこと、全部のみ込んで表現したいねん」
今、部屋は写真がいっぱい。昔の写真はなくて、全部ここに来てから。
天国、ここにあり
散歩中も忙しい。道でこけてる人がたくさんいて、どないしたんと手を差し出す。無縁続きの道の先で、手を結ぶ不思議。
「僕、半分おばさんみたいなとこあって、助けに行くの好きやねん。『立たんかっ』て起こしたる。僕も年やから、自分がいつ起こされる側になるか分からん。あいりんっていう街の名前もええやろ。相哀れむより、『愛憐(あいあわ)れむ』。黙って知らんふりでけへん。街の人は僕にひっついてくるし、僕もひっついて生きるねん」
年寄りばかりで、楽しい噓が好きで、道で寝たりこけたりしている人たちの街――。
でもここが、「僕の天国。ここで生きて死ぬねん」。
人生これから。好きな人もできた。
「それだけでうれしい、たのしい」
明日もフェラーリで繰り出そう。おもろい街へ。(土井恵里奈)
長谷忠 私生児として生まれ、同性愛などを題材に多くの詩を書く。老後の死に場所を探していた80代、西成が拠点の紙芝居劇「むすび」と出会い、引っ越した。一人で暮らし、週1度仲間と会う。
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