林文子氏「誰もいなくなった」 横浜市長選、IR誘致ではしご外され:

林文子氏「誰もいなくなった」 横浜市長選、IR誘致ではしご外され


「マイク納め」で横浜市役所庁舎に向かって叫ぶ林文子氏(左)=同市中区で2021年8月21日午後7時59分、樋口淳也撮影拡大に開かなかった。最後の登庁日は27日。コロナ禍のため式典は開かれず、静かに12年間の公務を終える。【樋口淳也、高田奈実、中村紬葵

「マイク納め」で横浜市役所庁舎に向かって叫ぶ林文子氏(左)=同市中区で2021年8月21日午後7時59分、樋口淳也撮影拡大
「マイク納め」で横浜市役所庁舎に向かって叫ぶ林文子氏(左)=同市中区で2021年8月21日午後7時59分、樋口淳也撮影

 それは、選挙演説というよりも退任あいさつのようだった。

 「ありがとうー! ほんっと、ありがとうー!」。選挙戦最終日の21日午後7時59分。横浜市中区の市役所前に、林文子氏(75)の叫びが響き渡った。「マイク納め」と呼ばれる最後の演説は約12分間。「たった1人」の選挙戦の最後は、自らが12年間率いてきた市職員らに向けた言葉で締めくくった。

 市長選最大の波乱要素は、林氏の動向だった。4選を目指して出馬するか否かは最後まで耳目を集めたが、林氏の心はずっと揺れ動いていた。ある市議は「自身が認める後継者が出てくれば、譲る気はあった。だが、その後継者がいなかった」と説明する。後継不在の選挙は、自身の3期12年を否定するようなものだ。いざ立候補すると自民党の分裂を引き起こした。

 1月に体調を崩すと、与党関係者の間では「政治家が体を壊したら戦えない」(自民市議)と勇退論が急速に広まった。それに多選の問題もあった。後ろ盾となってきた菅義偉首相、そして自民市連は林氏以外の候補を模索し始めた。

 だが、そうした流れを誰よりも嫌ったのが林氏だ。支援団体の関係者は、面会時にあったシーンをよく覚えている。「何気なく体調を尋ねたら、『もう、こんなこともできるんですよ』と突然屈伸のような動きを見せた。元気なのを相当アピールしたいんだなと感じた」。周囲にも電話の度に体調の良さをアピールした。

 そんな林氏の意向をよそに、市連は林氏を支援しないと決めた。わざわざ市議らに意見聴取して「総意」を演出、3人の幹部が市長室で勇退を迫った。だが、高齢であることなどを持ち出したことが林氏の気持ちを逆なでした。「市民が待っている」などと気色ばみ、亀裂は決定的になった。

 ダメ押しはカジノを含む統合型リゾート(IR)誘致の取りやめを主張した小此木八郎氏(56)の出馬表明だった。これまで誘致に賛成してきた自民の市議が小此木氏支援に回ることは容易に想像できた。時に「ぼろくそ」(林氏)に言われながら進めてきたIR誘致ではしごを外され、林氏は大義を貫くことを決めた。「私が出なければ、誘致すべきだという人の選択肢がなくなる」。意向を受けた経済界が急きょ動き出し、6月下旬以降には地元商店街関係者などが相次いで市長室を訪ね、事実上の出馬要請をした。

6人のベテラン市議らが林文子氏(中央)の選挙運動を支えた=横浜市港北区で2021年8月13日午後3時29分、樋口淳也撮影拡大
6人のベテラン市議らが林文子氏(中央)の選挙運動を支えた=横浜市港北区で2021年8月13日午後3時29分、樋口淳也撮影

 分裂した自民からは議長経験者3人を含む6人の市議が入った。林氏が「6人の侍」と呼んだベテラン市議らは、事務所の手配や街頭演説場所の調整、のぼり持ちまで何でもこなした。街頭活動では代わる代わるマイクを握り、IR誘致や民間企業経営者出身の林氏の経済界との太いパイプなどを強調した。

 だが、後ろ盾のいない選挙戦は厳しい展開になった。報道各社の調査では前半から劣勢が伝えられ、IR誘致を巡って市民から暴言を浴びるようなこともあった。「応援してくださる方たちがいきなり違う方向を向いてしまった。右を見ても左を見ても誰もいなくなって」。選挙戦が進むごとに、林氏は自らのもとを去った自民市議らに敵意を隠さなくなった。

 保守票を小此木氏と奪い合って2人が「共倒れ」となり、山中竹春氏(48)の独走を許す。早い段階から予想されていたシナリオは現実のものとなった。小此木氏陣営の一部には「林さんが出馬したのは、はしごを外した自民への意趣返しだ」と受け取る人もいた。

 4年前の前回選でIR誘致を「白紙」として立候補した林氏には、「民意を問うべきだ」という声がついて回った。今回、誘致賛成を訴えた2人の合計得票率は17%にとどまった。新型コロナウイルス対策が主要な争点になったという要素を差し引いても、市民に誘致のメリットが伝わっていたとは言い難い。

 林氏は落選が決まった直後、事務所で支援者らを前に「2年前にIRを進めると発表してから、反対の嵐の中で生きてきた」と語った。その表情はどこか晴れやかで、肩の荷を下ろした安堵(あんど)がにじんでいるようにも見えた。

 29日までを任期とする林氏は、原則水曜開催とする定例記者会見を25日に開かなかった。最後の登庁日は27日。コロナ禍のため式典は開かれず、静かに12年間の公務を終える。【樋口淳也、高田奈実、中村紬葵】

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