選びたいのに選べないのは=伊藤智永:東京新聞から引用して居ます。
参院選には、衆院選のように劇的な政権交代を起こす力は備わっていないが、時の政権を倒す力がある。平成の政治史は実際、参院選結果による政変の連続だった。
2007年の第1次安倍晋三政権退陣は、病気を理由にしていたが、政治的には直近の参院選で旧民主党が圧勝し、国会運営に展望を失って投げ出したのが真相だった。
こうした経験から「ねじれ」は政治の安定を揺るがす異常事態と吹聴されてきた。でも、考えたらそれはおかしい。そもそも2院制は異なる視点で法案を審議し、行政をチェックするための制度である。
「ねじれ」が起き得るのは憲法の想定内。だから、予算や条約に関する衆院議決の優越、一般法案の議決が両院で違った場合は衆院の3分の2以上で再可決されれば成立、といった速さと慎重さを使い分けたしくみが定められている。
議会が議会らしく働くための手間と思えば、与党が参議院で野党対策に手を焼くぐらいがちょうどいい。連立の面倒くささも民主主義のコストである。よもや「コスパ(効率)がどうの」とは言わせまい。
むしろ問題は、議会が議会らしくない場合だ。通常国会はひどかった。政府提出法案すべて成立。対決法案も印象に残る議論もなし。万事「事なかれ主義」の岸田政権はご満悦でも、これじゃ政治がないに等しい。参議院など影も形も見えない。国民は何を審判できようか。ああ、「ねじれ国会」が懐かしい。
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一昨年9月、「参院のドン」こと村上正邦氏が亡くなった。参院自民党国対委員長、同幹事長として活躍したのは90年代だから「ねじれ」ではなく政治改革と政界再編の激動期だが、こわもてと愛嬌(あいきょう)の案配が絶妙な統率力で野党も抱き込み、「参院の独立性」の旗の下、たびたび政権や衆議院にもの申した姿は忘れがたい。そのつど記者は議事堂の衆参両翼棟を行ったり来たり。参議院に活気があった。
福岡・筑豊の炭鉱育ち。苦学し、挫折は数知れず。政界に引き寄せられ、新宗教団体の支援で国政入り。タカ派を自任し、元号法制化など多くの右派運動を組織した。経歴はとっつきにくそうだが、正面から核心を問えば、時に率直な心情を吐露する答えに妙味と含蓄があった。
例えば初代事務局長を務めた「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」について。「ありゃ失敗だ。いつの間にか首相参拝が目的になって、むしろ肝心の天皇参拝を妨げている。もうやめた方がいい」
日本の植民地支配と侵略的行為を反省した戦後50年国会決議。「俺はだまされたんだ。押しかけた民族派の連中にネクタイつかまれて怒鳴られたけど、もう衆議院は仕方ない。参議院では採択させなかった。でもね、俺は子供の頃、炭鉱で朝鮮人がひどい目にあうの見てたんだよ」
安倍政権を支えた右派組織「日本会議」は生みの親の一人。「左翼の手法を上手にまねた張りぼて。実体なんてない。俺は批判的だね」
受託収賄罪で実刑となり、政界を退いたが、晩年まで訪れる人が絶えなかった。理想の議会人とは違う。でも、議会が息づくにはこういう指導者が必要だ。村上氏とは天敵の間柄だったが、野中広務氏にも同じ懐かしさを覚える。どちらもインテリからは疎まれた。「大衆の原像」という古い造語が去来する。
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参院選がつまらない。争点は物価、景気、防衛費、憲法。どれも大切だ。しかし、皆が気にかけていて、政治にしか頼れないもっと大きな課題は、どこの誰を選んだら何とかしてくれるのか見当もつかない。地球温暖化、大災害への備え、感染症、核拡散、世界的な大都市開発競争の将来と人の過密。政治が遠い。
参院選の倒閣現象は、有権者が大きな不満を抱いた時、衆院選より感情をストレートに表しやすいからだと説明されてきた。ただしそれには受け皿として、2大政党制をめざす大野党の存在が前提となる。
12年の第2次安倍政権以降、与党は国政選挙に連戦連勝。野党が細分化し「1強多弱」の構図となった「12年体制」下では、もはや平成政治前半の参院選の効力は消えたという説もある。だいたい、衆議院で落選したら参議院へ転がり込み、首相をめざす参議院の重鎮が我先に衆議院へくら替えするようでは、誰が真剣に投票できようか。(第1土曜日掲載)
専門編集委員。政治部、ジュネーブ特派員など。著書に「靖国と千鳥ケ淵 A級戦犯合祀の黒幕にされた男」(講談社+α文

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